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"BAL, THE CAR"

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このブログの昨年11月24日付けのトピック“GIRO DI KARUIZAWA "SPECIAL" -Ⅱ-”で触れさせていただいたのが、愛らしいルックスで人気のある英国のヒストリックカー“AUSTIN HEALEY SPRITE MK-Ⅰ(オースチン・ヒーリー・スプライト マークⅠ)”が主人公の絵本“バルン君(作者:小森誠・福音館書店)”です。
実車は愛称である“カニ目”からも分かるように、ボンネット上に飛び出した丸目2灯のヘッドライトが特徴の可愛らしい外観を持つオープンのライトウェイトスポーツカーですが、其の実1リッターに満たない軽快なエンジンを小型軽量のボディーに積みこんだ、“走る愉しみ”に満ちた名車でもあります。
そのルックスとは裏腹に、ボティー剛性を高める為にこの車にはトランクも与えられていません。
さて、車好き達の間では有名なこの絵本ですが、私は実物を見る機会がありませんでした。
そこで以前にこのブログで取り上げさせていただいた時に、「よし、この機会に!!」ということで車好きの長男へのクリスマスプレゼントとして購入を決めました。
会社近くの書店に行ったのですが、店頭に無かった為取り寄せてもらい、数日後に入荷しました。また、一冊では寂しいので、“くまのプーさん”の絵本とセットでクリスマスラッピングをしてもらいました。
そしてクリスマス当日の朝...
予想通り、車好きなサンタからのプレゼントに大喜びしてくれました!
“バルン君”は、評判どおり絵が可愛らしく、車好き達が唸るヒストリックカーの名車達もたくさん登場します。
字が少なく、0歳~2歳位までの子供向きのようですが、私も長男と一緒になって「バルバルバルッ」と言って楽しみながら読んでいます。
まだ在庫は大丈夫なようなので、周りに車好きなお子様がいらっしゃる方は、プレゼント用にいかがですか?

MY MEMORIES OF 2006② GIRO DI KARUIZAWA -Ⅱ-

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今朝は、出勤時の電車も空いていました。
昨日が仕事納めの会社も多かったようですね。
弊社は、今日で本年の営業を終了させていただきます。
一年間のご愛顧、誠にありがとうございました。
さて、“第5回 ジーロ・デ・軽井沢”の続編をお送りいたします。
初日の夜は、全出場者(約200人)とゲストを交えた300人近い人数で盛大なパーティーが行われました(左上写真)。
ここで、私にとってこの1年間で最大のサプライズともいえる嬉しい出来事がありました。
それは、直木賞作家 藤田宜永さんとの出会いです(右上写真・右の方)。
私はもともと本が好きで、今も海外出張の際は10冊近い本を持って行き移動中はずっと読み続けているのですが、藤田さんの書かれた本の数々は皆私の大のお気に入りで、出版されている本のほぼ全てを読ませていただいています。
氏は早稲田大学を中退された後に渡仏、パリに数年在住し、エールフランスに勤務されていた頃に執筆活動を始められたという、異色の経歴をお持ちの方です。
2001年に“愛の領分”で直木賞を受賞されました。
奥様は同じく直木賞作家の小池真理子さんで、ご夫婦で一年の大半を軽井沢の山荘で過ごされている事でも知られています。
近年の著書は大人の恋愛を描いたものなども多くなり、その作風もかなり広がってきましたが、初期の作品はパリを舞台にしたロマンティック冒険大作(主人公は皆日本人青年です)などが多く、私はその全てが大好きなのです。
そんな氏と、音楽関連など様々な事業を手がける私の弟(三男)がひょんなことからお知り合いになったと聞いたのが約2年前。「紹介してくれ~~」と弟に頼んでもなかなか機会が無く実現しなかったのですが、“ジーロ・デ・軽井沢”のパーティーの表彰式(初日の区間分)で、毎回プレゼンテーターとしてご夫婦で招待されていることを知りました。
そこで、弟に頼んで私が出場する事を藤田さんに電話して伝えてもらったのですが、当日パーティーの前に主催者の方から呼ばれ「先生から連絡があり、“今回知り合いが参加するので宜しく”との事だったので、パーティーでは来賓席の先生の横の席にさせていただきました」との事。
パーティーでお会いして、一言二言お話できれば大ラッキー! と思っていたので、そんな凄いサプライズをお聞きしてひっくり返りそうになってしまいました。
初日の競技が終わり、パーティー会場のバンケットルームに向かう時は正直緊張していたのですが、先に着席されてた藤田さんにご挨拶すると「やっぱり弟さんと雰囲気似てるね~。入ってきた瞬間に分かったよ。」とのフランクなお言葉。
すぐに緊張も解け、パーティー終了までの2時間いろいろとお話をする事ができました。私の弟(次男)のお隣には、軽井沢観光協会の会長さんや、地元有力企業の社長さんなどもいらっしゃり、普段お会いする機会のなかなか無い方々とも、お話する事ができました。(奥様は今回お仕事で、残念ながら出席されていませんでした。)
藤田さんとの夢のような時間はますます盛り上がり、「なかなか無い機会だから、もう一軒行こうよ!」とのありがたいお誘い受け、万平ホテルに嫁と共に宿泊していた弟を残し(私と家族は家の方に泊まりました)、軽井沢駅近くの藤田さん行きつけのパブで午前2時位までご一緒させていただきました。
藤田さんの書かれた“転々”が、オダギリジョーさんと三浦友和さん出演で映画化されるお話や(2007年夏公開予定)、同じく松雪泰子さんと寺島進さん出演で“子宮の記憶”が映画化され撮影が進んでいるというお話(2007年1月公開予定)などのスケールの大きいお話や、出版業界事情など、普通なかなか聞くことの出来ないお話をご本人から直接お聞きすることができました。
当日は朝早い集合で、しかも山道を40年前の車で200キロ以上走った後だったのでかなり疲れていた筈なのですが、全く疲れを感じる事も無く愉しい時間を過す事ができました。久しぶりの本当に嬉しいサプライズでした。(後日談ですが、夏に中軽井沢で毎年恒例の花火大会があった日に、ジーロ・デ・軽井沢主催者のご夫妻のご自宅での“花火を見る会”にお招きいただき、藤田さんに再会すると共に、奥様の小池真理子さんにも初めてお会いすることができました。本当に綺麗な方でしたよ!この時も色々なお話を聞かせていただきました。)
さて、長くなってしまって大変恐縮ですが、本題に戻らせていただきます。
2日目はホテルをスタートした時は少し雨が降っていましたが、その後は日も出てきて、蓼科方面のコースの美しい風景を堪能することができました。
左下写真は、帰路で“軽井沢メルシャン美術館”を通過時のもの。
旧軽井沢に入ると、なんと我がボロ家の前の道がコースに設定されていた為、急遽家に寄ってハードトップ(屋根)を外し、最後の約1.5キロだけですがオープンにすることができました。
右下写真は、万平ホテル入り口の路上で各車最終ゴールへの時間調整をしているところです。
2日目は、昼で全競技が終了。
ランチパーティーで2日間の総合成績が発表されました。(今回、集計ミスがあった為後日訂正があったのですが、私達は102台中16位!!初出場にしては上出来!と自画自賛してしまいました。)
そんな訳で、私にとっては初めての運動会&文化祭状態だった“第5回 ジーロ・デ・軽井沢”は、心地よい疲れと、忘れられない楽しい思い出を残して幕を閉じました。
その後、2006年下半期はこのようなビッグイベントには恵まれていないのですが、来年5月の“第6回”はもちろん出場したいと思っています(資金的にはかなり危機的な状況なのですが。。。)。
私事で恐縮ですが、このような愉しみがあると仕事のモチベーションも高まります。“スーツ”と“車”に共通するのは、“男のロマン”。来年も“男のロマン”を追い求めて行きたいと思います。
繰り返しになりますが、この一年間どうもありがとうございました。
来年も変わらぬご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
皆様、よい年をお迎え下さい!!

MY MEMORIES OF 2006① GIRO DI KARUIZAWA -Ⅰ-

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いよいよ今年も残すところ僅かとなりました。
皆様にとっての2006年は、どんな一年でしたでしょうか?
私事で恐縮ですが、今年の個人的ニュースと言えば、次男の誕生、7月から続いている禁煙、そしてこのブログのスタートなどが挙げられますが、思い出に残るビッグイベントとしては、何度かこのブログでも触れさせていただいているヒストリックカーのタイムラリー“第5回 ジーロ・デ・軽井沢”への初出場があります。
今回は、少し時間が経ってしまいましたが“第5回 ジーロ・デ・軽井沢”について書かせていただきたいと思います。
5月27日(土)と28日(日)の2日間にわたって開催されたこのラリーの舞台は、軽井沢の名門“万平ホテル”。
秋篠宮家の皆様など、皇族の方々もご宿泊される由緒正しきホテルで、ジョン・レノンの常宿であった事でも知られています。
このラリーの為に全館ほぼ貸し切られた同ホテルの駐車場は、102台の美しいヒストリックカー達によって埋め尽くされました。
左上写真は、ホテル出発前に行われたドライバーズミーティング。
出場者は皆上位入賞を目指している為、その表情は真剣そのものです。
その後、軽井沢駅横の町営駐車場に移動し、正式スタートを待ちます(右上写真)。私の愛車は、ボディーが赤でハードトップ(屋根)が白の1965年式MGBです。
そして、9時ジャストの1号車をスタートに各車30秒おきに、2日間で350キロを走破するタイムラリーへと旅立って行きました(左下写真)。
初日は朝からあいにくの雨でしたが、草津方面へのルートは起伏に富んだ美しいコースで、私とコ・ドライバーである弟は出場英国車46台中、末尾のゼッケン“46番”をつけたMGBを駆って、後ろに迫る“チシタリア”、“スタンゲリーニ”、“オスカ”などのイタリアの貴重なレーシングカーとのランデブーを愉しむことができました。
残念だったのは夕方に天候が悪化し(右下写真)、伊香保から軽井沢へと戻るコースの競技が中止されたことでしたが、霧と雨というハードコンディションの中でも、全車事故もなく無事万平ホテルに帰還する事ができました。
(-Ⅱ-に続く)

GIRO DI KARUIZAWA "SPECIAL" -Ⅱ-

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あまり車に興味の無い方には申し訳ありませんが、先週末の“ジーロ・デ・軽井沢 SPECIAL"に出場していたヒストリックカー達の中から、数台をピックアップしてご紹介させていただきます。
まずは、“ラ・フェスタ ミッレ ミリア”の時にもご紹介させていただいた“MGA”(左上写真)です。
1950年台的な丸みを帯びた美しいボディーラインが特徴で、オープンとクローズドの2種類のボディーがあります。
右上写真が、MGと共に英国を代表する自動車メーカーであったAUSTINの2シーターオープン、“AUSTIN HEALEY SPRITE"。
“カニ目”の愛称で親しまれているこの愛らしい車は、このようなヒストリックカーイベントではいつも子供達からの一番人気。
その筋では有名な“バルンくん”(著者:小森誠 福音館書店)という絵本の主人公のモデルにもなっているのですが、私も子供用に欲しいと思いつつ未だ本屋に探しに行けずにいます。
余談ですが、この車は英国では“FROG EYE(カエル目)"と呼ばれていて“カニ目”ではありません。
左下写真は、ドイツを代表するヒストリックカー“PORSCHE 356"です。
ドイツ車のヒストリックカーはなぜか日本ではあまり多くなく(スポーツカーが少ないのが理由だと思われます)、このようなイベントではいつも少数派なのですが、この車はドイツ車の中では最大勢力で必ず見かける車の一つです。
最後が“FERRARI DINO 246"(右下写真)。
“跳ね馬(マーク)の付かない唯一のフェラーリ”として知られるこの車は、フェラーリとしては例外的な6気筒エンジン搭載車。
フェラーリの創業者 エンツォ・フェラーリが、若くしてこの世を去った息子 アルフレディーノの愛称をこの車に与えたという悲しいストーリーはあまりにも有名です。
今年5月の“第5回 ジーロ・デ・軽井沢"の時には、“イタリアの至宝”と称される“CISITALIA”、“STANGUELLINI”、“OSCA”などの小型レーシングカーが多く出場していましたが、今回は運悪く同日に“バルケッタ・ミーティング”というイタリア車のイベントが小田原で開催された為、殆どがそちらに流れてしまい、残念ながらイタリア車がかなり少ない状況でした。
この時期は見ているだけでもかなり寒く、参加されている方々にとってはかなり過酷なラリーだったと思います。
次回は、来年5月に開催される“第6回 ジーロ・デ・軽井沢"。
新緑が溢れる美しい軽井沢を、100台近くのヒストリックカー達が駆け抜けます。私も、10月の初めに乗って以来一度も愛車の世話をしていないので、今週末こそは久しぶりにエンジンを掛けて来年5月に向けたコンディション管理に努めたいと思います(天気はどうなんでしょうか??)。

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