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SAVILE ROW ④ GIEVES & HAWKES -Ⅱ-

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以前はビスポークスーツの顧客専用だった階段を上がった2階には、“ギーブス&ホークス”が所蔵するアーカイブが展示された部屋があります。
有名な提督の軍服の実物や華やかな儀礼服など、英国王立陸・海軍の制服を長く手掛けてきた同社の輝かしい歴史を教えてくれる貴重な品々は、どれも素晴らしいコンディションが保たれており、重厚な雰囲気の部屋に整然と展示されている光景は圧巻です(上写真)。
名門とはいえ、一軒のテーラーがこのような貴重なアーカイブを所持し後世に伝えようとするその姿には、畏敬の念を抱いてしまします。
サヴィル・ロウのスーツが現在も世界中の紳士達から愛されているのは、こういったところにも理由があるのではないでしょうか。
ところで、この部屋の外には白い大きな箱が置かれていました。
案内していただいたセールスマネージャー氏曰く、「この箱は海軍士官が自分の艦に乗り込む際、軍服や身の回りの品一式を入れて運んだものです。ギーブス&ホークスではその昔、軍服とともにこの箱のオーダーも受けていました。この箱もギーブス&ホークス製なのです」。
様々な物が納まるように設計されたこの箱には、専用の銀食器などもセットされており、当時の英国海軍士官達の洗練された生活ぶりがうかがえます。
さて、最後は地下の工房へ案内していただきました。
残念ながらカッターの方々はホリデー中で、裁断作業は行なわれていませんでしたが、熟練テーラー達による縫製作業はしっかりと見学することができました。
今回は、以前に同店で修行されていた日本のある若手テーラーさんから、仲間達に渡すようにと手紙を預かっていたのですが、非常に仲がよかったというテーラーのアンドリュー・ゴメス氏(右下写真)に直接手渡すことができました。
笑顔が優しい温和な同氏ですが、その腕前はかなりのものとの事。
サヴィル・ロウのスーツは、こういった経験豊かな職人の方々の手によって、現在も一針一針縫われているのです。

SAVILE ROW ③ GIEVES & HAWKES -Ⅰ-

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サヴィル・ロウの話題を続けます。
これから2回に分けて、2件目に訪れた1番地の“ギーブス&ホークス”をご紹介させていただきます。
1785年に創業された“ギーブス”と、1771年創業の“ホークス”という2つの老舗が1975年に合併してできたこの名門は、現在も3つのロイヤルワラント(エリザベス女王・エジンバラ公・チャールズ皇太子)を保持するなど、サヴィル・ロウでも特に高いプレステージを誇ります。
また、近年ではプレタポルテにも力を入れており、従来のビスポークスーツの顧客層以外にも訴求力を持つブランドとして、世界中で高い知名度を得ています。
さて、高級ブランドショップのようなモダンなショーウィンドー(左上写真)を横に見ながらメインエントランスを入ると、ゴージャス且つエレガントな空間が広がっていました(右上写真)。
ここでは主にプレタポルテやシャツ、タイなどが販売されており、ビスポークスーツの顧客は店の左奥にある専用サロンに案内されます。
各英国マーチャントのバンチが集めたれたコーナーには、勿論“ハリソンズ オブ エジンバラ”のフルコレクションが用意されていましたが、8畳(!)程はあろうかという全面ガラス張りの専用フィッティングルームのソファーの横には、なんと“ハリソンズ”が誇るウーステッドスパンカシミア使いの超高級スーツ地“マルチ・ミリオネア”の着分とサンプルがディスプレーされていました(左下写真)。
嬉しくなりながら、案内していただいたセールスマネージャーの方に理由を尋ねると、「この部屋には世界中から富豪の顧客がいらっしゃいますが、そんな目の肥えた方々でも驚かれるようなクオリティーの高い服地をPRすることは、非常に重要な事だと私達は考えているのです。ここに展示してから既に2着注文をいただきましたよ!」とのこと。
同行のジェームス・ダンスフォード氏も、サヴィル・ロウの超名門テーラーでの“ハリソンズ”服地へのこの高い評価に大満足のようでした。
1階の売り場とビスポークサロンを見学した後は、2階のアーカイブルームへと連れて行っていただきました。
以前はビスポークサロンは2階にあり、顧客はメインエントランス近くの扉を開けたところにあるこの専用階段を使い2階に上がっていたそうですが、現在あるアーカイブルームは一般公開されていない為、残念ながら一般の方は2階に上がることはできません。
この階段の壁には、欧州各国の王族からマイケル・ジャクソンなどのポップスターまで、創業から現在に至るまでの著名人顧客の写真が整然と飾られており、圧巻の眺めでした(右下写真)。
-続く-

SAVILE ROW ② HUNTSMAN -Ⅱ-

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“ハンツマン”訪問の話題に戻ります。
サロンの片隅にはテーラー必須のフィッティングルームがあるのですが、この部屋の扉には最近“THE COLIN HAMMICK ROOM”というプレートが掲げられました(左上写真)。
これは“ハンツマン”の一時代を築き、数年前に他界された名カッター コーリン・ハミック氏を偲び、またその功績を称えるものだそうです。
この4畳程のフィッティングルームには馬の鞍なども置かれているのですが(右上写真)、これは乗馬服の仮縫いの際に使うもので、顧客は実際に乗馬する時の姿勢で正確な仮縫いを受けることができるのです。
こんなところにも、英国の紳士服が歴史と文化に深く根付いていることを窺い知ることができます。
さて、その後工房のある地下に降りたのですが、顧客の為にストックされた膨大な量の型紙を見ていると、案内していただいたセールスマネージャーの ピーター・スミス氏が「もうサヴィル・ロウでも作れる職人がいない」という古式の乗馬ズボンを見せて下さいました(左下写真)。
肉厚のコーデュロイで仕立てられたこの乗馬ズボン、技術的なことは私には分かりませんでしたが、この製法は継承されておらず、現在サヴィル・ロウにも仕立てられる職人が一人もいないとのことで残念な限りです。
少しずつ世代交代が進んでいるサヴィル・ロウですが、多くの熟練職人達が現在も活躍中ですので(右下写真)、その伝統的技術を後進にしっかりと伝えていっていただきたいと思います。

SAVILE ROW ① HUNTSMAN -Ⅰ-

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今回からは、パリから久しぶりの“ユーロスター”で入ったロンドンの話題をお届けいたします。
前回の2月の出張に続き、今回も金曜日にお取引先のアパレル会社の3名様のアテンドで、サヴィル・ロウの老舗テーラー見学(2軒)を行いました。
前回同様、アレンジ、同行は“ハリソンズ オブ エジンバラ”を傘下に持ち、サヴィル・ロウの全ての名門テーラーに服地を供給する英国最大のファミリーマーチャント、“リア ブラウン&ダンスフォード”の4代目、ジェームス・ダンスフォード氏にお願いしました。
通常、サヴィル・ロウの老舗テーラーは、敷居の高さと重厚な佇まいの為サロンに入ることさえ憚られる雰囲気で、工房の見学は上顧客でもない限りまず無理なのですが、役得もありこういった機会を頻繁にいただけることは有難い限りです。
さて、まずは始めに訪問した“ハンツマン(左上写真)”の様子から。
創業1849年という長い歴史を誇り、欧州各国の王族・貴族の御用達テーラーとしてその名を馳せてきた“ハンツマン”ですが、近年はサヴィル・ロウ出身の人気デザイナー アレクサンダー・マックイーンとコラボレートしたスーツを手がけるなど、新たな試みにも果敢に挑戦しています。
エントランスを入ってすぐのサロンは相変わらず重厚な調度品で溢れていますが、モダンなレディーススーツをディスプレーするなど、ソフト路線の打ち出しをしているようです(右上写真)。
顧客が裁断作業を実際に見れるように、カッター(裁断士)の作業台をサロンから見えるように配置するのが最近のサヴィル・ロウでのトレンドのようで、ここ“ハンツマン”では3台もの作業台で行なわれている作業を見学することができます。
この日は、まだサヴィル・ロウでも珍しい女性カッターが裁断作業を行なっていました(左下写真)。
ところで、サロンの取りやすい位置には“ハリソンズ”、“ポーター&ハーディング”など英国マーチャントのバンチが下げられているのですが、これはサヴィル・ロウ専用の特大サイズのもので、頻繁に使われている為どれも年季が入っています。
-続く-

LES CHAMPS-ÉLYSÉES

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出張の話題に戻らせていただきます。
ミラノ滞在の後は、イタリア服地の産地ビエラを経てパリに入りました。
現地からの更新でも書いたように、ビエラからミラノに戻って乗ったフライトはフランクフルト経由で、最終的にドアトゥードアで9時間以上の長旅となりました。
ホテルに到着したのは午前1時近くで、今回の旅でも最もハードな移動でした。
翌日は一日中服地展示会“プルミエール・ヴィジョン”会場におり、その次の日の昼にはロンドンへと発ちましたので、今回のパリ滞在はかなり忙しないものでした。
さて、展示会に行った日は、会場を夕方に後にすると少しでもパリの雰囲気を味わおうと、早速シャンゼリゼ大通りへ(上写真)。
ベタではありますが、ここに来ると一気にパリ気分が高まります。
今回はシャンゼリゼ大通りに面した支店を持つフランスの老舗靴メーカーで、愛用の靴を買い換えるミッションもあったのですが、何とか開店時間内に駆け込むことができました。
その後は大通りをブラブラ散歩。
以前にも紹介させていただいた、シャンゼリゼ大通り136番地の“PEUGEOT AVENUE(プジョー・アベニュー)”にも立ち寄ってきました。
こちらは仏車メーカー“プジョー”のショールームなのですが、コンセプトカーの展示や関連グッズの販売でいつも多くの観光客を集めています。
今回面白かったのは下写真の“1007”で、ボディーはまるで織物のようにペイントされ、同柄のファブリックを使った椅子がシート代わりに置かれています。
コンセプトカーなので勿論公道は走れませんが、「ボディーとシートを同じ柄にする」というのは実現可能なアイディアだと思いますので、やってみたら案外人気が出るかも知れませんね。

NAVIGLIO GRANDE

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ミラノ滞在の最終日であった日曜日には、お知り合いの方にお付き合いいただいて、市内を徒歩で散策しました。
いつものように“ドゥオモ(ミラノ大聖堂)”からスタートし、今回足を延ばしたのはゆっくり歩いて30分程の距離にある“ナヴィリオ運河(NAVIGLIO GRANDE)”。
ヨーロッパ初の人工運河であるこの運河は、12~13世紀に作られその全長は約50キロにも及びます。
昔は石材の輸送などにも使われ、“ドゥオモ”建築用の大理石ブロックもこの運河を使って運ばれたようです。
ミラノ唯一のウォーターフロントであるこのエリアには、画家などの芸術家が好んで住んできましたが、最近はレストランやピッツェリア、洒落たワインバーなどが増えて、一段と賑やかな雰囲気になっています。
左上の写真は運河に浮かぶ水上レストラン。
右上写真は、多くの人を乗せて穏やかな水面を走る遊覧船です。
天気もよかったので少し乗ってみたくもあったのですが、もう夕方で時間がなかった為、また今度のお楽しみにしたいと思います。
運河のほとりには昔の洗濯場がそのままの姿で保存されており(下写真)、風景に溶け込んだその佇まいで多くの観光客を集めていました。
散歩の後はお知り合いのご自宅で夕食をご馳走になり、リラックスした素敵な休日をミラノで愉しむことができました。

VENEZIA ②

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中世にタイムスリップしたかのような街並みの中を歩き続けると、有名な“リアルト橋”に到着(左上写真)。
橋の上がアーケードになっており、商店が立ち並ぶこのユニークな橋は、16世紀後半に架けられました。
橋の上から見下ろすと、“ヴァポレット”や“ゴンドラ”が所狭しと行き交っており、衝突しないのが不思議なくらいの混雑ぶりです(右上写真)。
その後はフィレンツェの中心にある“サン・マルコ広場”へ(左下写真)。
写真の手前が“ドゥカーレ宮殿”、奥が“サン・マルコ寺院”で、その壮麗な建築を一目見ようと、広場は多くの観光客で賑わっていました。
“サン・マルコ寺院”は中に入ることができたのですが、11世紀にビザンティン建築(イスラム文化の影響を受ける建築)で建てられたこの寺院は内部の装飾が素晴らしく、撮影禁止の為写真を撮れなかったのが残念でした。
右下写真は寺院の入り口で、こちらの壁画も大変美しく印象的でした。
午後にはヴェネチアングラスで有名なムラーノ島へと足を延ばしたりと、夕方まで初めてのヴェネチアを満喫し、束の間でしたが充実したオフとなりました。

VENEZIA ①

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ミラノを出発して約2時間半後に、ヴェネツィア・サンタルチア駅に到着。
中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」など、数々の名声を我が物にしてきたヴェネツィアだけに期待も大きかったのですが、駅を出ると真正面がすぐ運河なのにはびっくりしました(左上写真)。
駅前には“ヴァポレット(vaporetto)”と呼ばれる水上バス乗り場があり、多くの人で溢れています。
右上写真も駅前の橋からの眺めで、多くの“ヴァポレット”や“モトスカーフィ(motoscafi)”と呼ばれる水上タクシーが行き交っています。
車道も車も無いヴェネツィア市内では、公共交通ばかりか自家用もボートで、なんとなく知っていたとはいえ実際に目にするとやはり驚いてしまいます。
さて、まず有名な“リアルト橋”近くで“ヴァポレット”を降りて、細い路地に入り散策。
素晴らしい街並みに感動しながら歩を進めると、ヴェネツィア名物の“ゴンドラ”が路地裏の運河をゆっくりと進んでいるのを見つけました(右下写真)。
浦安の某テーマパークがこの町をモデルにしているのは有名な話ですが、ヴェネツィアはまるで町全体が壮大なアミューズメントパークのように完成されており、路地裏を歩いているとふと物語の世界に迷い込んだように錯覚してしまいそうになります。
-続く-

TRAIN TO VENEZIA

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海外出張の話題に戻ります。
今回から数回に分けて、初めてのヴェネツィア行きについて書かせていただきたいと思います。
もう5,6回目になるミラノ出張ですが、今まで週末に滞在した際ももっぱらミラノ市内観光が主で、他の都市まで足を延ばしたことはありませんでした。
そこで今回、ミラノ在住のお知り合いに案内していただけるということで、長年行きたかったヴェネツィアに日帰りで行く事にしました。
写真は、出発当日朝のミラノ中央駅(STAZIONE CENTRALE DI MILANO)の様子。
1931年に落成したこの駅舎は、ムッソリーニの独裁体制の影響を強く受けており、荘厳で威圧的な雰囲気を醸し出しています。
右下写真は私が乗ったヴェネツィア行き(07:55発)の特急。
片道約2時間半の小旅行を前に、駅のバールで腹ごしらえとカプチーノを一杯。
初めてのヴェネツィアを前に、胸が高鳴ります。
-続く-

MILANO

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先週の金曜日に帰国しました。
机の上に溜まった仕事の量に呆然としつつ、今月は海外仕入先の来日が続くので計画的に行動しないと...と気を引き締め直しています。
さて、これからシリーズで今回の出張の話題をお届けしていきたいと思います。
まずは最初の目的地ミラノから。
毎回、水曜の夜に到着するのですが、木・金曜と展示会場(ミラノ・ウニカ)にいる為、金曜の夕方に仕事が終わってからようやく展示会場近くの宿泊地から地下鉄で15分程の市内中心地に向かいます。
“ドゥオモ広場”のあたりに来ると、到着から2日経ってようやく「ミラノに来たぞ!」という気分になるのです。
“ドゥオモ(ミラノ大聖堂)”は改修工事もだいぶ進んだようで、足場が殆ど取れた美しい姿を見せてくれました(上写真)。
“ドゥオモ広場”に面したショッピングアーケード“ガレリア(正式名:ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリア=左下写真)”はいつもの散歩コースですが、この“ガレリア”の反対側の広場に立っている石造(右下写真)は、イタリアを代表する偉人の一人レオナルド・ダ・ヴィンチのものです。 
そういえば、もう何度もミラノに来ているのに、未だにかの有名な“最後の晩餐”を見たことがなく、次回は是非時間をつくってこの壁画がある“サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院”を訪れてみたいと思います。